“黒い白”,

エマニュエル・ギヨー & 鷹野隆大

 

 

鷹野隆大氏より

 

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ギヨー氏と初めて会ったのは、確か3年ほど前、彼の個展会場だった。ギヨー氏はそれ以前から僕のことをフランスのメディアに 紹介してくれていたのだが、僕が彼について知っていることと言えば、出身がフランスであること、日本に数年間住んでいること、 本職が写真家であることのみで、多くは謎だった。

 

会場では夜の公園や非常階段の写真がスライドショーで上映されていた。夜の写真はこれまでたくさん見てきたが、それとは 違って濃密な性の匂いを感じた。このように闇を見、写せる人は滅多にいない。穏やかで明るそうな彼の見かけとは違い、 謎が一層深まったような衝撃を受けたのを今も覚えている。

 

今回の展示は、昨年、彼が帰国する直前に持ちかけたものだった。感傷的になった部分もあったかもしれない。しかし何かし ら面白いことができそうな予感はあった。例えば『黒い白』というタイトル。これは日本語を母語としないギヨー氏が「黒と白」と 書くべきところを誤ったところから生まれたタイトルである。

 

夜の闇を多く扱うギヨー氏の作品はカラーであるにもかかわらず、ほとんど色味がなく、画面の大半を黒が占めている。一方、 モノクロフィルムで撮った僕の作品は太陽光をテーマにしており、画面は白が基調となっている。「夜と昼」「人工光と太陽光」 「闇と影」といった違いが二人の作品にはある一方、写っている対象に強い意味を持たせていないところが共通している。遠 目に見れば、黒い写真と白い写真に見えるだろう。

というような話をしていたときに、ギヨー氏がメモ書きをしたのだが、それが「黒い白」だった。期せずして彼は二人の作品が混じ り合った状態を言葉にしたのだ。この偶然に心を奪われた僕は、見る人の頭の中で二人の作品が混じり合ってグレーとなる 展示構成をイメージした。

 

フランスと日本という距離も環境もかけ離れた二人の作品が混じり合ってグレーになるとしたら、それは「あらゆる色を混ぜれば グレーになる」という自然の法則を別の形でなぞったことになる。僕にはこれが小さな奇蹟に思えてならない。グレーは数ある 色のひとつではなく、特別な重みを持っているのかもしれない。この展示でそんなことを表せたなら幸いである。

 

鷹野隆大

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